学習院大学輔仁会スキー部
僕が現役の頃は、「学内の体育会の中で体力的にも精神的にもトップクラスにキツい」と言われていました。
部活で遅刻やミスなどがあると、トレーニングチーフから“トレーニング罰符”という厳しいトレーニングメニューが課せられる。
その内容は本当に大変なもので、その後10分くらい立ち上がれないこともあった。
僕が卒業する際に下級生達がそれぞれメッセージカードを書いてくれたなか、2つ下の後輩が、僕がトレーニングチーフの時の思い出を書いてくれました。
「トレーニングチーフのタムさんが1年生全員に罰符を出した時に、タムさんが1番辛い顔をしてたのを覚えています。」
たしかそんな内容でした。
おそらく12月の北海道合宿。糠平観光ホテルのスキー乾燥室で出した罰符のことだと思う。
トレーニングチーフとして沢山の罰符を出したけれど、そのそれぞれの光景は今でも思い出せる。
罰は受ける方は勿論大変だけど、課す方も辛いから。
僕よりもタイムレースで速い人に罰符なんて出していいのか。ミスをしてしまうくらい気持ちが抜けているのは僕にチームを引っ張る能力が無いからなのか。
毎回毎回自分を疑ったり責めたりしていました。
でも、スキー部がチームとして成績を残すため。
部員達が、卒業後に社会人としてしっかりやっていけるように。
“田村幸士”としてではなく“トレーニングチーフ”として与えられた役目を全うするしかありませんでした。
規律を破った隊士に対してはたとえ幹部の人間であろうと切腹を命じ「鬼の副長」と呼ばれた土方歳三。
でも彼はそのひとつひとつ全てを目に焼き付け忘れず、亡くなった隊士に対して思い続けていたはず。
そしてなによりも、規律を守らせることが出来なかった副長としての自分の無力さを痛感し苦悩していたのだと思います。
新撰組のため
近藤勇のため
隊士のため
その愛があるからこそ、今なお愛される鬼の副長なのかもしれません。
大学を卒業してもコーチとして現役部員たちと関わり、彼らの為、スキー部の為に何ができるかを考え、行動し、そして今まで100人を超える後輩たちと出会ってきました。
彼らと久しぶりに会うとあの頃を思い出すし、彼らが立派な社会人になって、あの辛い日々を笑いながら話せるようになってくれていると、あの頃の僕は少しは役に立ったのかなと思えることもある。
愛を持った土方歳三。
「壬生のほたる」で演じるにあたってスキー部で出会った多くの後輩たちの顔を思い出しながらそこに辿り着くことができました。
本当にありがとう。
これを書いた後に物置を探してその手紙を見つけて、全員の手紙を改めて読み返した。
僕の宝物です。
