『会津嶺の鐘』 千穐楽

『新撰組日記 会津嶺の鐘』千穐楽を迎えることが出来ました。


 ご覧いただいた皆様、応援してくださった皆様、ありがとうございました。そしてご一緒したスタッフ・キャストのみなさま、本当にありがとうございました。


 自分の出番が無いシーンで、袖で観ながら毎回涙した作品ははじめてかもしれません。「守るものがある」という尊さを心から感じられて人としても多くを学んだ作品でした。

 娘子隊、会津の人々、そして斉藤一。「会津を守る」という主軸となる感情を観てほしい人物が多かったので、土方はその人たちの感情が伝えられるよう、我を出さずに彼らの物語をしっかりと浮き出立たせるような立ち位置でいるよう心がけました。

 そのなかで、短直に「鬼の副長」を演じるのではなく「鬼の副長」になろうとした心を模索しながら演じる。その遠回りながらも一歩ずつ進んだ結果、『壬生のほたる』 『会津嶺の鐘 』と2作演じてやっと自分の中の土方が見えてきたような気がします。

 この心さえ持っていれば、一般的な土方へのイメージと多少離れた言動をしても「ああ、土方もこんな時あるんだろうな」と思われる。

 正解か不正解かは別として、ようやく羽賀先生の脚本に自分が溶け込む感覚がしました。

 そして役者としては「自信」を大切にしました。

 この「自信」というのは「自信がある」という意味ではなく、「今までやってきた自分を信じる」ということ。

 昨年『沙也可』で主演を演じ、その後役者仲間からある言葉を頂戴して気持ちを変化させて年末にあるドラマに参加。そこで自分では見てみぬフリしていたものをしっかりと直視できるようになりました。

 今まで必死で食らいついて頑張ってきたこと、でも打ちのめされて派手に失敗した経験は自分の中にある。

 年齢としては後輩が増えたこと、そしてキャストの中でも番手が上がってきたこと、その立場を与えられているのなら座組の中で多くを伝え、還元しなくてはいけないと思いました。

 当然今だって、自分は芝居が上手いとは全く思っていないし、全員を引っ張っていける存在ではないと思っています。

 でも自分の手の届く範囲のことばかりしても自分自身成長できない。思い切りジャンプしてギリギリ手が届きそうな事や役割にチャレンジすることが自分の成長にも繋がるし、僕が伝えた事の数パーセントでも後輩たちが何かを感じてくれたらそれで充分と思いこの1ヶ月半過ごし、自分自身もたくさん学ぶことができました。

 素晴らしい作品・スタッフ・メンバーに恵まれ、多くを授かり千穐楽を迎えることができました。


 歴史の積み重ねのお陰で今があり幸せに過ごし感謝しているけれど、『会津嶺の鐘』を演じていて、「もし娘子隊が、西郷家が、大勢の会津の人々が亡くならない歴史だったら」と考えずにはいられませんでした。


 史実を演じることの責任と意義を胸に、そして島田魁の日記が再び開かれるのを楽しみにして、今日からまた1日1日精進して参ります。