たいふーん、凄いね。
会社出て笑っちゃった。
で、ついさっき家に帰ってきました。
家に帰ってから、今までのパターンだと荷物を置くや否やテレビをポチっとな。
テレビをつけるわけですよ。
で、着替える、と。
けど、なんだかんだ言ってテレビの前に座ってダラ~って見ちゃうんだよね、僕ってば。
「テレビを見る」ってさ、当たり前の事だけど、テレビの前にいなきゃいけないわけでしょ?
一つの番組を見るには、決められたスペースに長い時間いなくっちゃいけないわけだ。
果たして僕にとって、それに見合った情報は得ているのだろうか?
テレビ全てがそうだとは言わないよ。もちろん。
とても好きな番組があるし。
テレビ番組を作っている僕が言うのは、どうかと思うけど(笑)
テレビが最大のメディアだ、っていうのは誰もが納得するところ。僕もね。
見ている人も多いし、目と耳両方に対して訴える事ができるから。
そして、たくさんの選択肢(チャンネル)があって、自分の好みにあったモノを選ぶ事ができる。
これって凄いことだよね。
けど、僕にとっては最近魅力的ではなくなってきたのだよ。
なんか、情報全てを丸投げって感じ。
なんつーか、んー。上手く言えないんだけど。
で、僕は情報を丸飲みって感じ。
情報を情報のままでストップさせている気がするんだよねー。僕は。
今って「情報」が溢れてるでしょ?
なんか分からない事があったらインターネットでちょちょいのちょいだし。
昔って、情報が限られていた。
けど、これって別に不幸でもなんでもない。
ようは、何を信じるかだよね。
インターネットとは無縁の老人が、新聞や古本屋という古典的なモノから得た「情報」を自分の意志できちんと消化して「知識」にしている姿を見ると、己の人間的な未熟さを痛感する今日この頃。
そんなこんなで、僕は最近本を読み、音楽を聞くようにしている。
本を読むと、音楽を聞くと、その情景を自分でイメージし物語を自分の中で消化し、構築していく。
今読んでいる本は
『Fuckin’ Blue Film』
って本。
友達に進められて借りたんだけど、こりゃまた凄い。
今度映画にもなるらいしよ。
内容はヒミツね。
ここ最近はチャリ通勤だから、夜遅く家に帰ってから少しずつしか読んでないけど、
テレビをただ流してボーッと見ているより、遥かに充実した時間を過ごした気分になる。
たくさん流れている情報に流されず、惑わされず、ひとつひとつ消化して、
「情報」から「知識」へ。