高校球児の笑顔と城彰二の笑顔

甲子園終わりましたね!
開会式で参加校一同が並んで行進するのを見ると毎回涙が出てしまいます。

今回も多くのドラマが生まれ感動させてもらいましたが、ちょっと思ったことがあったので綴ります。

たしか開幕してから2日目か3日目の試合、
得点圏にランナーを置き一打同点のチャンス。
しかしバッターの凡打、ゲッツーでランナーが残塁。
バッターが笑顔でベンチへ走り戻る。

勿論相手のプレーによってはアウトになっても笑顔(苦笑い?)が出てしまうことはあると思います。
しかしあのチャンスであの凡打でこの笑顔、違和感を感じた。「ここで笑顔なんだ」と。

「これが甲子園の素晴らしさ」という意見もあると思いますし、それを否定する気は全くありません。
スポーツは興行です。観る側がそれぞれの価値観で観てそれぞれの感情が起きるもの。

以前、98年フランスワールドカップ(サッカー)で城彰二選手がサポーターに「国を背負っているのにシュート外して笑ってんじゃねえ」と激怒され成田空港で水をかけられた事がありました。

何が違うんだろう。
どちらも同じスポーツで、どちらも同じ大切な試合。

じゃあ甲子園は国を背負ってないから笑って良い?
笑顔の質が別?
違いますよね。

「文武両道」という言葉があります。
調べると
「文事と武事、学芸と武芸、その両道に努め、秀でていることを指す語。」
と書いてありました。
「両道」に努めることであり「同一」ではないのです。

校という教育機関内で行われているスポーツだから考え方や物事の捉え方を一緒くたにしてしまっているのではないでしょうか。
「甲子園は人間育成の場だから」という意見は正しいと思います。
そもそも日本スポーツは教育が派生したもの。ですので学生スポーツは「スポーツを通して教育する」という観点なのだと思います。

僕自身も10年ほど大学の体育会スキー部のコーチをしていました。
卒業後もスキー選手としての生活を目指す部員は皆無に等しく、僕もコーチとして「卒業後に社会人として魅力ある人間にする」という気持ちで向き合い、キツいこともさせたし理不尽な環境も与えたりしました。

だからこそ感じるのが現状の日本学生スポーツのアスリート育成としての限界です。

文武両道を否定しているわけではありません。
むしろ学生スポーツにおいて大切なことだと思います。
ただ文武両道を目指すにあたって文と武を育てる側がそれぞれのノウハウを持って進めていかなくてはいけないのではないかと思うのです。

学校にも専門のコーチ、トレーナー、ドクターがいればどれだけパフォーマンスがあがるか。

その中で
「選手自身が文と武の共通項を感じ、スポーツを通して魅力ある人間になる環境がある」
それが学生スポーツの素晴らしさなのではないでしょうか。

結局は心の中。笑顔だろうが悔し顔だろうが心の中がどうなのかは僕たちは分からない。
だからこそ僕たちは想像し、自分の気持ちを選手に投影し、感情を出して必死に応援します。

スポーツにおけるパフォーマンスは体力や理性や頭脳だけではありません。スポーツ人生において起きた感情が大きく作用することもあります。

悔しさを全身で表現して良いのは最後のバッターと試合終了後だけ。
そんな雰囲気をぶち壊してもっと自分の感情のまま素直に一喜一憂するギラギラ熱い高校球児を見てみたいです。